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最高裁判所第二小法廷 昭和45年(あ)959号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人竹下伝吉、同山田利輔、同青木仁子の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

なお、道路交通法二五条の二の一項は、横断、転回および後退の如き、交通の流れに沿わない車両の運転操作を放任するときは、歩行者又は他の車両の正常な交通を妨げ事故を発生させる危険が多いので、これを防止するためそれらの行為を規制しようとする趣旨であることから考察すれば、同条項にいう「転回」とは、同一路上において車両の進行方向を逆に転ずる目的でおこなう運転操作の開始から終了までの一連の行為を指称し、かかる目的で運転行為を開始すれば、方向転換が完了するにいたらなくても、同条項にいう「転回」に該当するものと解すべきである。これと同旨の見解に立ち、被告人の本件所為につき同条項違反の罪の成立を認めた原判断は相当である。

記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(岡原昌男 色川幸太郎 村上朝一 小川信雄)

弁護人の上告趣意

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する事由がある。

一、即ち、被告人の所為は道路交通法(以下道交法という。)第二五条の二第一項の転回にあたらないのに、誤まつた同法の解釈のもとに同法を適用した。

原判決は「道交法第二五条の二第一項の転回とは車両が従来の進行方向とは逆の方向に進行する目的をもつてなす同一路上における方向転換の行為を総称するものと解すべく、殊に、同条第一項にいう「転回し」という趣意は、その文義上、一見すれば、右の方向転換を終り、車両が従来の進行方向に進路を向け終えた状態を指称し、そのときにおいて、本罪の既遂となるように解されないでもないが、同条の立法趣旨が、車両の転回(もしくは横断、後退)による歩行者または他の車両等の正常な交通に対する妨害を防ぎ、その他道路における危険を防止し、もつて交通の安全と円滑を図るに出でたものと解せられることに鑑みると、ここに転回というのは、前叔のような方向転換の目的をもつて、この目的に沿う車両の運転操作を開始し、その方向転換を終るまでの一連の車両の運転操作を指称し、該運転操作を、歩行者または他の車両等の正常な交通を妨害するおそれのある状態でなした場合には、同条第一項にいわゆる転回をなしたものとして、同犯罪が成立すると解するを相当とする。」という。

二、なるほど、立法趣旨だけを重視すれば原審の解釈のようにも解されよう。しかし、法は国民の行為を規律する規範であるばかりか、本法にあつては加罰規範であつてみれば、立法趣旨を重視する解釈もそこには国民の行為自由を守るための制約があるのであり、その制約は第一に「転回し」の行為が明確にこの時からと指示されなくてはならないということであり、第二に「転回し」という字句の持つ日常用語としての意味からする厳格な制限を受けなければならないということである。

そうだとすると、原審の「転回し」の解釈はどの時点から転回行為が開始することになるのか一向に明確でなく罪刑法定主義の趣旨に反する解釈との批判は免れない。

三、ここにおいて、弁護人は道交法第二五条の二、第一項の「転回し」とは、道交法の立法趣旨ならびに行為の明確性および「転回し」の日常用語的意味を考慮し、それは、方向転換の目的をもつて、方向転換の開始から終了までの一連の車両の運転操作を指称し、方向転換の開始とは、これまでの進行方向に対し九〇度を越える角度で運転を開始した時を意味すると主張するものである。

いま、本件事実関係をみると、被告車は道路中心線に対し、四五度あるいは八〇度という証言のくい違いはあるが、いずれにしても道路中心線に対しいまだ九〇度までいつておらず、しかして方向転換を開始したとはいえないのである。

四、原審は、前述のように、道交法第二五条の二第一項の「転回し」の解釈を誤り、右事実関係をして転回行為と認定したのであるから、原審は判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである。

第二点〈省略〉

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